中山敬一が語るジェンダー論

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はじめに

10年前に出版した著書の内容について、不幸な誤解により、図らずもご不快な思いをさせてしまった方にお詫び申し上げます。


Abstract

私が10年前に書いた「結婚は△、出産は×」という文章が誤解されたまま一人歩きしているらしい。しかし、これは現代日本が「結婚は△、出産は×」という悲惨な実情にあることを端的に表現したもので、私の個人的な思想ではない。むしろ私はこれらの現状を深く憂いており、女性のキャリア形成を応援したいと思っている。しかし、世界一流の科学者を目指すためには、夫婦どちらかが一定の犠牲を払うことが避けられない現状となってしまっている。それが女性である必要は無いにも関わらず、結局は女性が損をするのが現代日本社会の悪弊である。そういう現状をしっかり見据えつつも、何とか解決する方法を皆で考えていきたい。


Introduction

今から約10年前(2010年)に『君たちに伝えたい三つのこと − 仕事と人生について 科学者からのメッセージ −』という一冊の本を上梓した。その中の一章に「結婚は△、出産は×」と銘打った章がある。この章は当研究室のウェブ上にて無料で読めるので、是非ともご一読願いたい。

10年前には、その一文を問題視するような社会的風潮はあまりなかった。しかしそれから時代は徐々に変質し、私の伝えたいことが正確に伝わらず、「中山 敬一は女性差別論者でけしからん」という方々が増え、中には苦情の電話が大学まで来たこともある。このことは、社会がこの問題に真摯に向き合うようになってきたことを示しており、喜ぶべきことなのかもしれない。

私は従来、研究以外の意見に関しては無言を貫くことをポリシーにしてきたが、ふと別の考えが頭をもたげてきた。不本意ながらも不快な気持ちにさせてしまった方々に申し訳ないが、幸か不幸か、議論の場が与えられたわけで、これを機会に「中山 敬一が考えるジェンダー論」を述べることにしたい。これが導火線になって広く議論が巻き起こり、日本社会の後進性が少しでも改善されれば、私の悪名も少しは世の中の役に立つことであろう。


本 文

1. 「結婚は△、出産は×」の真意

私の本をきちんと読めば明白であるが、私自身が「結婚は△、出産は×」と考えている訳ではない。むしろ逆である。私は、そのキャリアを応援したいと真摯に考えている。

事実、私の研究室では多くの女性が(楽しく???)働いており、中には二人の子供を出産し、育児をしながら、世界一流の研究に励んでいる女性研究者もいる。過去には女性の助教や准教授が在籍していたこともあるし、その中から二名の女性教授を輩出した。この点を鑑みて、私が女性のキャリア形成を否定したり、阻害したりするような人間ではないことを理解して頂きたい。

また私のパートナーが研究者なので、普段から女性研究者の率直な意見を聞く機会に恵まれている。男性の視点では気が付かないことも多々あるし、想像していたことと正反対のこともよくあるのだ。私は女性を積極的に採用したいと思っているし、研究者における男女比は1:1でいいと考えている。


2. 厳しい競争社会に生きる科学者達

研究で世界一流を目指すということは、いわばオリンピックで金メダルを狙うことと同じである。金メダルを史上最も多く獲得している水泳のマイケル・フェルプスは、4年間で練習を休んだ日は0だと言う。ゆっくり休んでいるオリンピック選手などいないように、のんびり研究をやっている一流の研究者など寡聞にして知らない。

どんな世界においても、超一流を目指すものは、男も女も関係なく、血反吐を吐くような思いで仕事に打ち込んでいるものだ。


3. 現代日本社会の実情

日本社会の後進性が、このような厳しい現状の中で、女性の進出を大きく阻んでいる。

妊娠は心身共に大変な負担を女性に強いるが、それを男性が肩代わりすることは不可能である。育児については男女平等に負担することは、机上では可能だが、女性側に負担がかかっているのが現状である。積極的に男性が時間を割くなど、女性の負担を軽減する方法はいくらでもあるはずだ。

拙著を執筆してから10年の歳月が経ち、日本の環境も次第に変わってきたと肌で感じる。しかしそれでも、2020年時点の我が国において、仕事を早退したり、急遽仕事を欠勤したりすることは、いまだになかなか困難な現場も多いだろう。例えば、従業員5名の会社で、決算期の直前に深夜まで残業しなくてはならない時に、保育園の出迎えで17時に帰宅する社員がいたら、周りの社員は徹夜になるかも知れない。例えば、多忙を極める病院の内科外来で担当医師が2名だった場合、その片方の子供が突然熱発したので出勤できないと外来開始直前に連絡があったとき、もう一人の医師の絶望感は想像するに余りある。

「もっと人数を増やせば良い」などというのは理想論に過ぎる。現実は、人数も予算もギリギリのところで皆何とかやりくりしているのだ。組織が大きいところでは、何とかやりくりすることも可能であろう。社員が1000人もいれば、数名が急に休んでも何とか対処できるかも知れない。しかし、上記の例のように、5名とか2名とかの場合は、そういうわけにはいかない。そして、われわれの研究室も同じような規模なのである。大学の教授とは、実態は零細企業のタコ社長のようなものだ。


4. なぜ女性だけなのか?

残念ながら、現代日本において、研究室の規模が小さく、夫婦共に深夜まで研究することはほぼ不可能である。そんなことをしたら、子供が死んでしまう。

そして今までは、常に女性が暗黙のうちに損な役回りを押し付けられてきた日本社会の現状を憂いて、10年前は出産は×と記した。しかし、私はこの古い風習に反対である。なぜ、女性だけなのだろう?男性がもっと育児を担当してもいいのではないか?現状では、子供を持つ夫婦両方がハードに働くことは、様々な条件に恵まれない限り、なかなか困難だ。


5. 現状は容認しないが把握は必要

ある研究者の方から、次のようなご意見をいただいた。「現状を容認することは差別の助長である」と。なるほど、これは私も頭から反対ではないし、そういう視点もあると思う。少なくとも、この方と私とは「女性の立場を改善しよう」という点では、同じ方向を向いていると感じる。

ただ、一点断っておきたいことがある。「容認」とは「これでいい」という意味だが、何度も繰り返し述べているように、私は「現状がこれでいい」とは一切考えていない。現状は良くないが、それはそれで実情を認識し、さらにそれを改善するために皆で努力していきたいと考えている。全ては正しい「現状把握」から始まるのだ。

科学者というのは、その職業の本質として、現状の問題点を洗い出し、それを様々な方向から議論し、考察する人種である。そこには前提もタブーもない。私は自由な議論がしたい。自由で真摯な意見の渙発によって、この良くない現状に一石を投じたいのだ。


6. 解決策は何か?

もちろん、雇用している女性が妊娠・出産したら(もしくはその夫が育児に参画するなら)、もう⼀名雇⽤してもいいというようなルールができれば、女性の雇用は増えるかも知れない。実際、JSTの研究費ではそのような制度が存在したことがある。政府や社会がすべきことは、まさにこういうインセンティブを与えることである。深夜まで使える託児所をたくさん作る、研究者をサポートする技術員や補佐員、コアラボの制度を充実させる、労働を代替えしてくれるロボットの導入を促進するなど、個人に負担のかかりすぎる労働集約的な環境を改善することも大切である。

このように解決の方法はいくらでもあるだろう。しかし、こういうことは、もちろんタダではできない。それなりの、いや、かなりの投資(税金)が必要である。しかし為政者は実はそこまで本気ではない。だから、結局やらないのだ。私もいつも良い方策を考えているのだが、なかなか現実的で即効性のある案を思い付かないのが口惜しい。


7. 皆さんのアイデアを募集します

皆さん、この問題に対する解決策を一緒に考えましょう。実効性のあるアイデアをお寄せいただければ、私が責任を持って、しかるべき組織へ働きかけます。妙案をお待ちしております。


令和2年8月12日
中山 敬一